16世紀後半、ポルトガルはマラッカを征服し、東南アジア進出の足場を固めた。
ちょうど同じころ、琉球王国は東南アジア諸国と積極的な交易を展開した時期。
ポルトガル人と琉球人は、しばしば顔を合わせる機会も多かったに違いない。
この時代のポルトガル人が書き残した記録があり、それによると、
「琉球人は独特の船(サバニ)を持っており、中国やマラッカなどへ出かけ取引する。
しばしばかれらはシナ人といっしょに取引をする。
琉球には小麦と独特の酒(泡盛)と肉だけだが、魚は豊富にとれる。
彼らは正直で、奴隷の売買はしない。」
というような内容が紹介されている。
また、ポルトガル語で、琉球のことは「レキオ」、といい、琉球人は「ゴーレス(goresu)」と呼ばれていた。